1800年〜1900年

石上北天

明治初年の仏教弾圧・廃仏毀釈は全国の寺院・門徒に大きな打撃を与えた。当寺第29代住職の石上北天は,仏教界再生のために宗派を代表する立場で活躍した。

1832年
(天保3年)
「梅上山」の山号を彫った石嗽鉢を和泉屋重次郎が寄進する。(神谷町光明寺境内に現存)
1880年
(明治13年)
富山県出身の石上北天(第29世)、光明寺へ入寺する。
1894年
(明治27年)
四月十日、本堂庫裏が焼失する。
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