1200年〜1600年

徳川家康筆 日課念仏

「南無阿弥陀仏」の名号を六段に書いたもの。徳川家康(1542〜1616年)が,さる高僧から一日に念仏六万遍を唱えるように勧められたといわれる。

1212年
(建暦2年)
桜田霞ヶ関の地に、真色山・常楽寺(光明寺の旧称)が天台宗の僧・了栄によって創建される。一説によれば、1250年(建長2年)の創建。
1226年
(嘉禄2年)
関東滞在中の親鸞聖人の教化を縁に、了栄は天台宗から浄土真宗に宗旨を改める。
1540年
(天文9年)
疫病の流行に際し、常楽寺の本尊・阿弥陀如来像が光明を放って人々を救ったと信じられたことから、常楽寺を改め「光明寺」と称することになる。
1590年
(天正18年)
徳川家康の江戸入府の折、住職・証高(第17世)が境内の紅梅に古歌を添えて献上する。家康は大いに喜び、「開運梅」と称せよ、と命じる。その後、家康から粟田口国吉作の太刀を下賜される。
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